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齋藤 友裕

【経歴】

2021年:F.C.MAxS設立  

2025:北海道フォルトゥナフットボールクラブ身体操作トレーナー

2025:FIBRA FC身体操作トレーナー

2022:エスポラーダ北海道フィジカルトレーナー

2022:BTOPサンクくりやま身体操作トレーナー 

2019-2020:石狩FCフィジカルトレーナー 

2018~現在:Jリーガー/U-18サッカー日本代表(コンサドーレユース)パーソナルトレーニング指導        サッカー指導者への講演活動(オンライン、オフライン)

2017~現在:真栄サッカー少年団フィジカルトレーナー

2012-2015:札幌日大サッカー部フィジカルトレーナー 

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F.C.MAxSを作った想い

親に勧められて3年生の時にサッカーを始めました。

どんどんのめり込みいつの間にかサッカーが大好きになっていた本当にどこにでも居るサッカー小僧。

 

毎日サッカーボールを追いかけて、練習がないときも家のまえでコーンを並べて、壁にボールを当てて練習していました。

人より足が早く上達速度も早っかった僕は、札幌選抜の練習会に参加する機会を得ました。

チームから一人だけ行った僕は周りの環境に慣れず、自分を出せないまま数ヶ月の練習会が終わり選ばれることはありませんでした。

今思うとメンタル(ブレイントレーニング)が弱かったんだと思います。

中学生になり同じように地区からトレセンに選ばれ札幌選抜に選出されました。そこでは北海道選抜の選考会も並行して行われていましたが、

メンタルが育つわけもなく、高いレベルになればなるほど萎縮してしまう自分がいて、小学生からメンタルも成長せず。

当然札幌選抜止まり...笑

高校は推薦で入るものの中学3年生のときに鉄欠乏性貧血になってしまいます。

ここから僕の不調は始まってしまいました。

周りはカラダが大きくなり、フィジカル要素が必要ななか思いど通にプレーできない。

以前できていたプレーの感覚が取り戻せないまま3年生になってしまう。

選手権はエースだったにも関わらず、前半で交代させられて地区敗退。

監督を恨んだし、周りのせいにもした。その時は自分のせいにできなかった。

カラダも動かない、メンタルも弱い。ダメダメでした。

とても悔しかった3年間。

どうしたらよかったときの自分を取り戻せるのか悩んだけどわからないまま3年間が終わってしまいました。

本当に今までのサッカー人生を何のためにやってきたのかわからなかったというのが本音です。

その瞬間、サッカー選手を夢見ていた自分に「もう無理なんだ」「そこまでのサッカー選手だったんだ」と言い聞かせてしまい僕のサッカー選手になる夢はここで諦めてしまいました。

しかし、ここで新たに芽生えたことがありました。

なぜサッカーがうまくなれなかったのか、調子が戻らなかったのか、いつも身体が重かったのか、メンタルが弱かったのか。

こんな悩みを選手時代に解消できればもっと良い選手になれ、高いレベルでできたはず。

であれば自分がこういった選手を救える人になろうと思たんです。

悩んだ分、経験した分、選手のためになる活動ができると思う強く心に想い突き進みました。

大きなケガで悩まされたわけではないのですが、この経験が挫折であり、僕の将来を変えてくれました。だからこそ出会えた選手に全力で夢を叶えてほしいと思ってしまいます。

僕は北海道の札幌市に生まれ育ちました。

この地に生まれたサッカー選手たちに恩返しをしたいと強く思っています。

そしてサッカーを通して、僕を通して人間的にも成長できるサッカー選手を育てたいと思っています。

北海道から素晴らしいサッカー選手たちが育成されれば日本のサッカーはもっと飛躍し成長すると信じています。

北海道から日本や世界に通用する選手が一人でも多く出てくれる日を夢見て。

僕を信じてきてくれる選手に全力を尽くします。

お問い合わせ

右記のアドレスにお気軽にお問い合わせください。

​080-5594-6107

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